筑波大の柳沢正史教授らのチームが、生物の体内時計の周期を保つペースメーカーの役割を果たしている脳の神経細胞群をマウスの実験で特定したと発表した。研究チームは、複数のアミノ酸の集合体であるペプチド「ニューロメジンS」(NMS)が視交叉上核でのみ生み出されていることに着目。マウスの実験で、NMSを生む神経細胞群の体内時計の働きを止めたり遅くしたりすると、個体の行動リズムもそれに合わせて変化することを確認した。同細胞群は視交叉上核の約40%を占めるという。
個別指導塾「森塾」や学習アプリの企画制作、学習塾用教材の開発・販売などを手がける株式会社スプリックス。同社は2月、教科書や問題集のわからない問題を動画で解説するスマートフォンアプリ「速答カメラ」をリリースした。
このアプリは、解けない問題に当たった時に、生徒が速答カメラアプリで問題を撮影して画面上に現れたアイコンをタップすると、一問一答形式の動画解説を見ることができる。
シンプルで直感的に操作でき、とても使いやすい。再生される動画は、単に問題の解説をするだけでなく、問題を解くために必要なポイントまで解説してくれる。そして、繰り返し再生や再生スピードの調整も可能になっているため、何度でも自分のペースで反復学習が進められる。
スプリックスの常石博之副社長は「とくに数学は、解答を見てもわからない問題があります。自宅で学習するときに、動画で解説を見ることができれば、生徒の理解が進むと考えました。そのために作ったのが、この速答カメラです」と話す。
また、速答カメラを個別指導塾で導入することによって恩恵を受けるのは、生徒のみならず講師にとっても強力な支援ツールとなりそうだ。
3月1日(日)、富山県魚津市にて、富山教育企画(岡本安克代表)が創立30周年・新塾名披露式典を開催した。同社は地元の地名の魚津(うおづ)にちなんだ「学習塾UOZUアカデミー」として、長らく魚津市に根ざした教育活動をしていたが、創立30周年を機に「学び舎プラット」として再始動する。新しい塾名の由来の一つは「プラットフォーム」とのことで、生徒が行き交う場所になって欲しいという思いがあるとのこと。北陸新幹線の開通により脚光を浴びている富山県であるが、この30周年を機に、更に地域に根ざして邁進していく心意気が感じられた。式典では「フリースクール寺子屋ありがとう」主宰の岸本達也氏による基調講演や懇親会などもあり、最後まで密度の高い会となった。
西大和学園中学・高等学校の創設者である田野瀬良太郎氏が『田舎の無名高校から東大、京大にバンバン合格した話―西大和学園の奇跡』を上梓した。今となっては、東京大学や京都大学をはじめ、国公立医学部へ多数の合格者を輩出し、開成中・高や灘中・高に続く全国屈指の進学校としても知られる西大和学園中・高。しかし、1986年の開校当初は、中堅公立高校のすべり止め、ごく平凡な田舎の私立高校だった西大和学園。教室から机が放り投げられ、他校とのケンカが絶えない日々も続いた。
もちろん生徒も、大学進学などまったく考えてもいない。教師もまた公立校の教員採用試験に不合格だったものばかり。そんな中、「日本一の進学校」を目指し、創設者の田野瀬氏と荒削りな教師達が立ち上がる。ひとつの学校がみるみる生まれ変わっていく奮闘記としても面白く読める。
「琵琶湖の場所も知らない」生徒が、関関同立に現役で合格。引きこもりの生徒が東大理一へ。そこから、わずか数年で驚異的な進学率を誇るようになり、あっという間にで奈良県トップの進学校へと駆け上がった。西大和学園ではどんな教育が行われ、どうやって全国有数の進学校になったのか。0時間目、泊まり込み補講、夏季休暇3日、正月特訓など、一部ネット上では「受験少年院」と言われたほどの“体育会系”スパルタ受験の実態とは?
そこには、資金0から学園を立ち上げ、教師と生徒たちに夢を語り続けた、田野瀬氏の教育への熱い思いが込められていた。理想の学校経営、学校再生のすべてが詰まった熱き教育書。昨年4月には、大阪市に大和大学も開校し、グループ全体としても日本の教育に大きく貢献する西大和学園の誕生から30年の歴史が紐解かれる。