どこを向いて仕事をしている?
誰のため、何のために塾で働く?
忘れてしまっていないか子供のための教育を自分が楽しみながら働くという当たり前のことを
WinStar個別ONE(兵庫県)
代表 北浦 壮さん
塾は趣味でやりたい
戦火に散った戦場カメラマン・ロバート=キャパは言った。「私の一番の願いは、失業することだ」。世界に平和が訪れ、戦場カメラマンという仕事が必要ない社会の実現を願った言葉である。
思えば、すべての仕事はそんな悲しい皮肉をはらんでいると言っていい。塾だってそうだ。子供たちの学力向上が塾の第一義だとすれば、塾を必要としない世の中にするのが、塾人が目指す最終目的地なのかもしれない。まあ、頭では理解しても、心からそう思うのはたやすくないが。
しかし、北浦壮(三六)は違った。はばからずそれを口にする。「子供たちが塾なんて行かずに済むようするのが最終目標です」。同時に「塾は趣味でやりたい」とも言い切る。誤解を受けそうな言葉だが、もちろん塾という仕事を舐めているわけではない。そこにこそ、北浦が塾をやる理由、目指した理想があった。
心臓病の少年との出会い
いわゆる〝夜の街〟でアルバイトをしながら、二六歳まで司法浪人を続けたが挫折。それが周囲の笑い物になっているような気がして、いたたまれず故郷を逃げ出し、縁もゆかりもない地で大手進学塾に就職した。「僕は基本的に、逃げてばかりのダメ人間なんですよ」と笑うが、そんな自然体も彼の魅力だ。
塾を選んだのは、かつて「教育で人は変わる」喜びを経験していたからだ。高一のころ、近所のとある小学生の家庭教師を頼まれたのだが、その子は心臓病を患っており、気も弱く、二〇歳まで生きられないとも言われていた。ふさぎこみがちな我が子を心配した母親が、「せめて話し相手に……」と北浦を引き合わせたのだ。
勉強もそれなりに教えたが、くだらない日常のこと、女の子のこと、ちょっと悪い遊びのこと……まともな学校や塾なら大問題になりそうな話題もたくさん語りあった。それはお世辞にも上品な「教育」ではなかったが、血の通った真実がたくさんあった。「臭いものに蓋をしない」――それこそ北浦の教育であり、その姿勢は塾を開いた今も変わらない。やがて少年は奇跡的に回復し、明るく元気になったうえ社会復帰も遂げ、今でも友達のような存在だという。そこに北浦は「人を育てる」という教育の純粋な楽しさを見出したのだ。
売上を追い求めない塾を作りたい
しかし、最初に就職した塾は、いわゆる軍隊式で売り上げ至上主義。自身は常にトップクラスの成果を出してはいたものの、違和感をぬぐえなかった。後に転職した塾もそれは同じで、どこか社員たちが、生徒でなく会社のほうを向いて仕事をしているように感じたのだ。子供たちには「生きる力」だ、「夢を持て」だと言いながら、当の先生たちが仕事、ひいては人生を楽しんでいるようには到底見えなかった。
「この人たちは、誰のため、何のために塾で働いているんだ?」。そう思ったとき、独立するのは自明の理だったと言えよう。
そこで、開業するに当たって重視したのは「自分も子供も」笑いあえる塾。営利に走らない塾。教育が売上追求の犠牲にならないよう、事業を多角展開し、利益の多くはそこで出そうと考えたのだ。北浦自身が塾を「楽しめる」こととは、自分の利益に惑わされず、純粋に子供たちの利益を追求できることであり、「塾は趣味でやりたい」という言葉の真意もここにある。
だから、今でもチラシはほとんど打たないし、無理な入塾も迫らない。塾生の成績が上昇してきたら、平気で(もっとハイレベルな)他塾への転塾を勧める。不思議なもので、そうすればするほど生徒は増えたし、生徒たちの成績も上がった。塾生同士も結束が強く、小学生から浪人生まで、まるで家族のような関係性だという。個別指導塾では珍しいことだ。
「塾というより、教育を通じた地域サロンのような場にしたい」と北浦。もしかしたらそれは、彼の目指した「塾のない社会」の第一歩、あるいは進化した塾の形なのかもしれない。(敬称略)
文/松見敬彦
北浦 壮 TAKESHI KITAURA
1979年生まれ、大阪府出身。塾が過剰な営利主義に走ることを疑問視し、理想を求めて独立開業。「自分(講師や社員)が幸せでないのに、他人(生徒)を幸せにはできない」という理念のもと、塾の社会的地位向上を目指す。そのため、各教室長がプロとして独立した裁量権を持って教室運営するスタイルを取る。気さくな人柄で「僕みたいな人間でも、楽しいことを追求して生きていけるんだと子供らに伝えたい」と語る。
●WEBサイト
http://www.win-star.jp/
●ブログ
http://ameblo.jp/hoshitea/